SL冬の湿原号

第1章 蒸気機関車の歴史と復活の軌跡

日本ではじめて蒸気機関車が走ったのは

安政元年で、当時、 通商を求めて来日したアメリカ艦隊の提督ペリーから将軍に献上された模型の蒸気機関車と貨車を横浜の海岸で試運転したことがその創始といわれています。

このころから、いろいろなルートで鉄道に関する知識が伝えられ、知識人の間では、鉄道建設に対する 熱意が高まりましたが、徳川三百年の鎖国政治にはぐぐまれた島国根性は先進国の文化を取り入れることに不安をたたえ、「国力からみて時期が早い」「鉄道は外敵を手引きするもの」などの理由から建設はなかなか進みませんでした。

しかし、日本が近代的な国家として発展するためには、鉄道が必要とする声や、政府要人の鉄道建設論者の熱意により、明治2年、政府は鉄道建設に着手しました。

北海道での蒸気機関車の夜明け

明治2年、牛の力に依存していた茅沼炭鉱鉄道はありましたが、蒸気機関車が走ったのは明治13年11月28日手宮~札幌間35.2kmに始まります。使用された機関車には「義経」「弁慶」などの愛称がつけられ、カーンカーンと響き渡る機関車の警鐘は沿線住民から時刻を知らせる時計代わりとして親しまれていました。

進化する蒸気機関車

大正2年 9600型 国産大正時代の代表的貨物機関車。クンロクの愛称があった。

昭和11年 D51型 「デゴイチ」の愛称で親しまれた機関車。貨物及び勾配線旅客列車用として代表的なもの。

昭和23年 E10型 急勾配線用で逆向き運転に便利。

鉄道こぼれ話

  • 駅弁は、明治18年、宇都宮駅で竹の皮に包んだおにぎりが売られたのが始まりと言われています。
  • 客車に最初にトイレが整備されたのは明治22年頃。それまでは客車にトイレがなかったため、駅の停車の度に、トイレに行列ができたり、窓からしてしまって罰金を取られたりするなどの話もあったそうです。
  • 当時の客車は木製だったので、冬期間は隙間風が厳しく、夏は虫の侵入で悩まされたため、明治8年頃には、座布団、明治22年頃には毛布や湯たんぽ、そして明治32年には夏に、夜間列車に蚊帳を貸す営業がありました。

移りゆく時代とともに…

1960年代からはじまった蒸気機関車を段階的に廃止する国鉄の「無煙化」計画。押し寄せるエネルギー改革の波は、SLの雄姿 をも、第一線から消え去ろうとしました。

さようなら「ハチロク」

昭和45年7月31日14時46分。広尾線から帯広駅についた68678号機に「長い間ご苦労様」と惜別の情をいだきつつ心からの拍手が送られました。道内の国鉄から姿を消す最終の8620型、この68678号機は、大正13年池田機関区に配置され、走行距離は217万キロ。実に47年間も働き続けたのでした。

それに伴い、蒸気機関車を惜しむ機運が全国的に高まり、各地でSLの「静態保存」がブームとなりました。
当時の鉄道管理局史には一世紀近くも日本の産業や文化のために働き、人々に親しまれた消えゆくSLに向け、このような言葉が記されています。

君たちの役割は終わった。長い間ご苦労さん。
その労いを心からねぎらいたいものである。

時は流れて…

クレーンでつりあげられた車体がゆっくりと降りてきて動輪に組み込まれる。

この迫力あるシーンは、苗穂工場で1999年3月30日に行われた蒸気機関車C11 171号機の「足入れ」作業。NHK連続テレビ小説「すずらん」で留萌線恵比島駅がロケ地となったのを機に、前年から復元が進められていたのでした。

SL復活計画に基づき、全道各地に保存されているSLを調査した結果、最も状態の良かった171号機に白羽の矢を立てました。しかし、状態が良いといっても、24年ぶりの復元。SLの整備を経験した社員も少なくなっている折、工場に搬入されて以来わずか5か月での完成を目指した作業は苦労の連続となりました。SLの心臓部であるボイラーは内部の煙管がほとんど腐食しており、大煙管24本、小煙管87本のすべてを新製しました。

そして1999年4月8日にはSLに魂を吹き込む儀式ともいえる火入れ式を行いました。

ボイラーに点火棒が差し込まれると、21年の眠りから覚めた171号機が
煙突から煙を力強く吹き上げた。復活だ!

写真で見る復活の軌跡

1998年11月27日
標茶町・桜児童公園に静態保存されていたC11-171が苗穂工場に到着。

1998年11月27日
復元に向け苗穂工場内へクレーンで搬入。

1999年3月10日
検査を受けたボイラーが搬入される。

1999年3月12日
台枠に40トンのクレーンでボイラー取り付け。

1999年4月8日
台車に車体を載せる作業。

1999年5月1日
SLすずらん号として復活。運転開始。

号機のご案内

<プロフィール>

  • 1940年川崎車輛㈱製造
  • 1945年朱鞠内機関区支区所属
  • 1954年長万部機関区所属(瀬棚線で使用)
  • 1973年最終全般検査(苗穂工場)
  • 1975年釧路機関区所属(標津線で使用・廃車)
  • 1975年11月、標茶町に無償貸与(展示用)
  • 1998年復元・着手(苗穂工場)
  • 1999年復元・完了(苗穂工場)
  • 1999年深川~留萌間でSLすずらん号として運行
  • 2000年釧路~標茶間でSL冬の湿原号として運行

<復元までの経緯>

C11形機関車は、国産タンク機C10形の改良形として登場しました。C11 171号機は1940年に川崎車輛で製造。深名線朱鞠内機関支区に配属されました。その後、瀬棚線、標津線で活躍し廃車。1975年から標茶町の桜児童公園で静態保存され親しまれていました。1999年NHK朝の連続テレビ小説「すずらん」の放映を機に復元。その後、地元からの要望もあり、2000年1月から「SL冬の湿原号」として運行され、標茶町への里帰りが実現しました。

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