
青森の海産物のなかで、トップの水揚げ量を誇るホタテ。そのほとんどが、陸奥湾育ちです。
津軽半島と下北半島に囲まれ、豊かな森とつながる湾内で、植物プランクトンをたくさん食べながら成長します。
桜の咲くころからぐんぐん大きくなり、初夏、いよいよ旬を迎えます。

ホタテ王国はホタテ養殖の先進地
全国に名を馳せる青森のホタテ。主産地は陸奥湾です。古くからホタテが生息し、十数年ごとに大発生を繰り返してきたといいます。そんな自然発生のうえに成り立つホタテ生産は、変動が激しいものでした。安定的な生産は、漁業関係者の悲願。当時、研究は進められていたもののホタテの増養殖技術は、まだ確立されていませんでした。昭和30(1955)年代、私財を投げうってホタテ養殖の礎を築いたのが、平内町の漁師・豊島友太郎です。その後、世界初のホタテの人工産卵に成功した山本護太郎博士、稚貝の画期的な採取方法を考案した平舘村(現・外ヶ浜町)の漁師・工藤豊作の尽力もあり、昭和40(1965)年代、陸奥湾のホタテ養殖は飛躍的に前進しました。先人たちの苦労と不断の努力が、ホタテ王国としての青森を築きあげたのです。
ホタテの成長は貝殻に出る
貝類の貝殻には、「成長線」と呼ばれる筋が入っています。これは樹木の年輪のようなもの。ホタテも例外ではありません。貝殻をよく見ると、同心円状の筋があり、その数からおよその年齢がわかるというわけです。ホタテは、卵からラーバ(幼生)・稚貝・半成貝・新貝の過程を経て、成貝になります。初春に生まれ、海中を漂っているラーバを採取すると、養殖の始まりです。夏、1cmほどの稚貝に成長したら、養殖用ネットへ。翌年2月ごろ、貝殻の大きさが6cmを超えると、「かご養殖」「耳吊り養殖」という方法で本養殖に入ります。半年ほど経ったものが、半成貝(6.5cm〜8cmぐらい)。多くは、ボイル後に急速冷凍され、「ベビーホタテ」として出荷されます。さらに成長したものが新貝(10cm前後)、2年越冬したものが成貝(約12cm〜)です。加工用のほか、活貝として出荷されます。


まるごと食べられて栄養たっぷり!
ホタテは、貝殻以外だいたいまるごと食べられます。いちばん大きいのが、貝柱。じつは閉殻筋という筋肉で、ホタテが泳いだり貝殻を閉じたりするときに使われています。貝柱に沿うようにある三日月状の部位が生殖巣で、オスは白色、メスは橙(だいだい)色です。それらを覆うように付いているひらひらとした膜が、外套膜。これはいわゆるヒモで、貝殻をつくったり泳ぐ方向を決めたりする働きがあります。二枚の貝殻をつなぐ蝶つがいの内側にある黒っぽい部位が、中腸腺。これは通称ウロといい、貝毒を蓄積することがあるため、食べられません。ホタテはおいしいだけではなく、栄養も豊富です。貝柱に多いタンパク質をはじめ、コレステロールを抑え、血圧を正常に保つといわれるタウリン、疲労回復に効くとされるビタミンB1、エネルギー源となるグリコーゲンなどが含まれています。
太宰治も食べた「貝焼き味噌」
陸奥湾の養殖ホタテは、漁師がエサを与えて育てているわけではありません。八甲田山系から流れ込むミネラル豊富な水が、良質な植物プランクトンを育み、それをホタテが食べて育ちます。だから、肉厚で甘みも旨みも強い!それでいてクセがないため、和食・洋食・中華どんな料理にも合う万能食材といわれています。まろやかな甘みを味わうならば、やはりおすすめは刺身ですが、加熱すると旨みが増すため、網焼きやフライなども味わいたいところです。青森を旅したら、ぜひ食べてみたい一品は津軽の郷土料理「貝焼き味噌」。大きなホタテの貝殻を鍋にして、出汁に味噌を溶き入れ、煮立ったところに具材を入れて、最後に卵でとじる料理です。昔は誰もが口にできる味ではなかったそうで、太宰治は『津軽』の中で、「卵味噌のカヤキ」への思いを綴っています。
