JR北海道

MENU

スペシャルインタビュー Vol.5 石炭産業の栄華と名残を感じてほしいスペシャルインタビュー Vol.5 石炭産業の栄華と名残を感じてほしい

夕張地域史研究資料調査室
室長青木 隆夫さん

Profile

三笠市出身。本州の大学を卒業後1980(昭和55)年、学芸員として「石炭博物館」に就職。初めての仕事は、同年に閉山となった清水沢炭鉱の資料収集。以来、石炭産業史を専門とする。長く務めた館長を退任後、2007年より現職。法政大学・教授、道都大学・非常勤講師として教鞭をとった。

炭都・夕張 〜栄枯盛衰の100年史〜

夕張地域史研究資料調査室 室長 青木 隆夫さん

夕張炭鉱の開坑は1890(明治23)年です。その2年前、北海道開拓使のあとに置かれた北海道庁の技師・坂 市太郎が石炭層の大露頭を見つけました。当時、このあたりに“まち″らしきものはなかったようです。夕張という地名は、鉱泉の湧き出るところを意味するアイヌ語「ユーパロ」から付いたといわれます。でも、アイヌの集落跡は確認されていません。ただ、滝の上地区には「チャシ」が遺されています。幕末の探検家・松浦武四郎の記録などによると、狩猟の場になっていたようです。

手つかずの自然だけがある場所に、炭鉱労働者130人ほどがやってきて、炭鉱のまち・夕張が始まりました。埋蔵量も炭質も有望で、開発が進んでいきます。機械化される前は炭鉱の生産量=労働者数だったので、人もどんどん増えました。ピークは1960(昭和35)年の11万6908人。約70年で人口が900倍になるという、極めて膨張率の高い「フロンティア集落」でした。

しかし、急激に発展した石炭産業は、エネルギー政策の転換で衰退してしまいます。夕張から全ての炭鉱が消えたのは1990(平成2)年、最初の開坑からわずか100年後のことです。

夕張地域史研究資料調査室 室長 青木 隆夫さん

炭鉱とともに歩んだ夕張の鉄道 〜国鉄と私鉄〜

1892(明治25)年、夕張に初めて鉄道が走りました。夕張炭鉱を開坑した北海道炭礦鉄道会社(以下、北炭)が、石炭を運び出すために敷設したのです。室蘭港と岩見沢を結ぶ「室蘭線」の追分駅から分岐する支線でした。「夕張支線」と呼ばれ、当初は紅葉山駅と夕張駅の2つのみ。後年、沿線で炭鉱が開発されるにつれ、駅も増えました。1906(明治39)年の「鉄道国有法」によって国有化、さらに1943(昭和23)年の「日本国有鉄道法」によって、翌年には日本国有鉄道に移管されました。これが「国鉄夕張線」です。

青木 隆夫さん
青木 隆夫さん

夕張には民営の鉄道も走っていました。代表格は「夕張鉄道」。経営は夕張鉄道株式会社、北海道炭礦汽船株式会社と改称していた北炭が設立した会社です。1926(大正15)年、栗山から現在の夕張本町まで開通します。目的は坑道の充塡に使う火山灰の運搬、のちに石炭と旅客も輸送して業績をあげます。しかし、石炭産業に陰りが見え始め、道路が整ってバスや自家用車が増え始めると、状況は一変。1975(昭和50)年に全線廃止されました。

北海道の炭鉱は、九州と違って内陸の山間部に集中しています。必然的に、炭鉱を中心とする人為的な集落が形成されました。夕張も例外ではなく、商店街など生活に必要な機能の整った集落がいくつもできます。それが鉄道で結ばれて、夕張という一つのまちになりました。だから、夕張には中心市街地はできなかったのです。

夕張炭鉱跡地で歴史を伝える「夕張市石炭博物館」

明治後半に三菱と三井が進出するまで、北炭が炭鉱と輸送を一手に握っていました。夕張が「北炭城下町」といわれる所以です。圧倒的な埋蔵量に支えられ、石炭産業は栄華を極めます。戦時中の増産体制、戦後復興期の国の政策で、活況は続きました。その後、1960(昭和35)年ごろから始まるエネルギー革命、価格の安い海外炭の輸入でダメージを受けます。でも、「石炭ではなく大蔵省の金庫を掘っている」と揶揄されたほどの国の手厚い保護によって持ちこたえました。この間、北炭は、石炭化学や多角化経営にも挑戦するものの、埋蔵量の大きさゆえなのか、石炭の採掘にこだわり続けます。結局、夕張には石炭以外の産業が育ちませんでした。相次ぐ炭鉱事故と閉山で衰退の一途をたどり、ついに1977(昭和52)年には、夕張の起源ともいえる夕張炭鉱が閉山します。

小樽市総合博物館
小樽市総合博物館

1980(昭和55)年、その跡地に「炭鉱資料館」を引き継いだ「石炭博物館」が開館します。3年後には遊園地も開園、テーマパーク「石炭の歴史村」は完成しました。見どころの「模擬坑道」は、見学用に本物の坑道を開削したもの。全国的にも珍しく、まして石炭層がそのまま見られるのは夕張だけです。坑道と石炭を見れば、炭鉱は理解できます。石炭の採掘とは何か、どんな環境で労働していたのか。そこから発せられるメッセージを感じ取れると思います。今年4月に「夕張市石炭博物館」としてリニューアルオープンして、私が勤務していたころとは変わりましたが、ぜひ見学してください。

在職中の入館者数は最大18万人くらい。小・中学校、高校の社会科見学がすごく多かったです。本州からも来ましたし、郷土学習の副読本をつくった関係で、夕張の子どもたちは必ず見学に来ました。狭くて暗い坑道は、冒険心をくすぐるのでしょう。大人にも人気でした。閉山で夕張を離れた人たちも、愛郷心から来ていましたね。

栄華の名残 〜夕張の近代化産業遺産〜

夕張には、経済産業省が認定した「近代化産業遺産」があります。その一つが「夕張鹿鳴館」。もとは「北炭鹿ノ谷倶楽部」というゲストハウスです。1913(大正2)年、北炭が北海道支店を岩見沢から夕張に移転したときに建てたもの。政商といわれた北炭の会長・萩原吉太郎は、夕張に来ると必ず宿泊したそうです。2011(平成23)年には国の有形文化財になりました。

鉄道遺産は、「三弦橋」と呼ばれるトラス橋が有名です。いまはシューパロダムの底に沈んでいて、2015(平成27)年にダムの放水で姿を現しました。数年から10年おきに姿を現すので、次は運がよければ10年後に見られるかもしれません。昨年は水底に三弦橋がうっすら見えて、なかなか風情がありました。

夕張の魅力は人です。炭鉱は、数千人の労働者が来ては去るという繰り返し。大正初期までは、いかに定住させるかに頭を悩ますほど人の出入りが激しかったのです。まちの人たちは開放的で、誰とでもすぐに親しくなりました。長屋式の炭鉱住宅や共同浴場も、濃密な社会をつくる一因でした。夕張は、今も炭鉱町らしさの残るまちですね。地形的には、山と山に挟まれて空がとても狭い。夕張トンネルを抜けると別世界で、その開放感に幸せな気持ちになったものです。

炭鉱と活気は、夕張から消えてしまいました。それでも変わらないものや名残があります。静かになった夕張に来たら、過去との大きなギャップを受け止めて、何かを感じてもらえるといいですね。

(2018年9月)

夕張市石炭博物館

住所/〒068-0401 北海道夕張市高松7番地 電話番号/0123-52-5500
URL https://coal-yubari.jp
開館時間/10時〜17時(10/1〜11/4は16時まで)※最終入場は閉館の30分前 休館日/火曜日 ※8/7、14は開館
入館料/1080円、小学生650円、未就学児は無料 ※夕張市民は無料(要身分証明書)

夕張鹿鳴館(旧北炭 鹿ノ谷倶楽部)

住所/〒068-0413 北海道夕張市鹿の谷2丁目4番地 電話番号/0123-52-3456
URL https://www.city.yubari.lg.jp/kanko/miruasobutaiken/rokumeikan.html
開館時間/9時30分〜17時※最終入館は16時30分 休館日/期間中なし ※12月〜翌4月下旬は休館
入館料/500円、小学生250円、未就学児は無料

TOPページへ戻る