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北海道の鉄道史138年を振り返る。 北海道における「鉄道」のあゆみ Hokkaido Railway story01北海道の鉄道史138年を振り返る。 北海道における「鉄道」のあゆみ Hokkaido Railway story01

※写真提供:鉄道・運輸機構

北海道と本州を結ぶ大動脈「青函連絡船」
列車を載せて、津軽海峡を疾走する

かつて函館駅と青森駅を結び、津軽海峡を走っていた「青函連絡船」。最大の特徴は、船内に線路があることだ。海や川など線路が敷けない場所で、列車を積み込んで運ぶ「鉄道連絡船」だった。フェリーや飛行機が普及するまでは、北海道と本州を結ぶ唯一の輸送手段であり、北海道の発展に大きな役割を果たしたといわれる。貨物列車のほか、寝台車、荷物車、郵便車、本州で造られて北海道で運行する機関車や電車を運んでいた。

「青函連絡船」の歴史が幕を開けたのは、1908(明治41)年3月7日。JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)が運営、比羅夫丸を就航させた。函館〜青森間を4〜5時間で走っていたという。当時はまだ列車を載せていない。

列車ごと積み込む「車両航送」方式の船が登場するのは、1924(大正13)年のこと。北海道開拓使による事業の本格化で、輸送力の強化が望まれたのである。積み下ろしの時間が短くなったことで輸送距離も伸び、北海道の新鮮な魚介類が出荷の翌日には関東や北陸まで届くようになったという。太平洋戦争下でも大量の物資を運んだ。しかし、終戦間近の1945(昭和20)年の夏、アメリカ軍の空襲によって壊滅的な打撃を受ける。

2年後に復活するものの1954(昭和29)年、通称・洞爺丸台風で5隻の船が沈没。それをきっかけに、1964(昭和39)年、当時最新の装備を持つ津軽丸が誕生する。「海の新幹線」とも呼ばれた高速自動化船で、函館〜青森間の所要時間を3時間50分まで短縮した。1970年代になって飛行機が台頭したあとも、「青函連絡船」は列車を載せて走り続ける。

1988(昭和63)年3月13日、開通した青函トンネルにたすきを渡し、80年の歴史に幕を下ろした。運んだ人の数およそ1億6113万人、貨物の量およそ2億4697万トン。多くの人たちに惜しまれながら、「青函連絡船」は、昭和とともに姿を消した。いま、函館では「摩周丸」、青森では「八甲田丸」が歴史を伝えている。

■青函連絡船「津軽丸」

構想から半世紀、24年間に渡る大工事
ナウマン象の道が「青函トンネル」になる

いまからちょうど30年前の1988(昭和63)年3月13日、北海道は本州と陸続きになった。「青函トンネル」が開通したのだ。総延長53.85km(うち海底部分23.3km)、鉄道のトンネルとしては当時の世界最長である。

「青函トンネル」の着工は1964(昭和39)年4月。同年5月、北海道吉岡村(現・福島町)で最初の発破が仕掛けられた。24年間を要した大工事の始まりである。

津軽海峡を海底トンネルで結ぶという構想は、戦前からあった。しかし、発案者はよくわからないのだという。最も古い記録は、1923(大正12)年に阿部覺治が著した『大函館論』。関門海峡の海底鉄道にふれながら、函館と(下北半島)大間の間の海底鉄道も夢ではないだろうと記した。具体的に構想して計画を立案したのは、鉄道省(現・運輸省)の技官であった桑原弥寿雄だといわれている。桑原は、「海底トンネルは掘れる」と信じていたようだ。その自信は、海底から石炭を掘っていた炭鉱があったことからくる。実際に掘れるのか否か。1946(昭和21)年ごろから地質調査が始まった。中断をはさみながら、1963(昭和38)年、青函トンネル試掘調査の開始が決まる。

「青函トンネル」となった場所は、氷河期に北海道と本州を結んでいた山脈のくぼんでいる部分に当たり、ナウマン象が行き来していた道だったといわれている。数万年という時を超えて、いまや海に沈んだその道を列車の道にしようというのだ。壮大な計画である。

青函トンネルの歴史

青函トンネルの歴史

  • 1946.4●地質調査開始
  • 1954.9●洞爺丸事故
  • 1964.5●北海道側吉岡斜坑掘削開始
  • 1966.3●本州側竜飛斜坑掘削開始
  • 1967.3●北海道側先進導坑掘削開始
  • 1968.12●北海道側作業坑掘削開始
  • 1970.1●本州側先進導坑掘削開始
  • 1970.7●本州側作業坑掘削開始
  • 1971.9●本工事着手
  • 1979.9●竜飛作業坑完成
  • 1980.3●吉岡作業坑完成
  • 1983.1●先進導坑貫通
  • 1985.3●本坑全貫通
  • 1987.11●青函トンネル完成

「青函トンネル」とひとくちに言うが、3つのトンネルがある。列車が走っている「本坑」、本坑を掘るための「作業坑」、地質調査と施工技術の開発のために最初に掘られた「先進導坑」。工事は、常に湧水との戦いだった。1969(昭和44)年に1回、1974(昭和49)年に2回、1976(昭和51)年に1回、計4回も出水事故に見舞われた。1983(昭和58)年には、マグニチュード7.7を記録した「日本海中部地震」を経験する。

幾多の困難を乗り越え、工事の成功を支えたのは、技術力である。レーザー測量、水平ボーリング、止水のための注入、掘ったあとの岩盤を安定させるコンクリート吹付工法やロックボルト工法といった高度な技術が、この工事ではじめて実用化された。特に「水平ボーリング」「注入」「吹付コンクリート」は、「三種の神器」と呼ばれたという。

海上の鉄路「青函連絡船」から、その役割を引き継いだ海底の鉄路「青函トンネル」。開通から28年後の2016(平成28)年3月26日、北海道新幹線が走り抜けた。それは、「青函トンネル」に携わった者たちと北海道民の長年の夢が実現した瞬間であった。

■トンネル上半部掘削
 ※写真提供:鉄道・運輸機構

世界一の長さの海底トンネル(開通当時)

当時「青函トンネル」は、世界一長い海底トンネルとして誕生した。このとき使われた技術「水平ボーリング」の距離2150mも世界最長記録であった。また、北海道と青森から掘り進めて、津軽海峡の真下でつながったとき、その誤差は2cmだったという。この高度な土木技術もまた、日本が世界に誇るべきものである。

スペシャルインタビューVol.1 青函連絡船の光と陰、あの日といまを語る スペシャルインタビューVol.2 青函トンネルが悲しみと喜びを運んできた
JR北海道・JR四国共同企画青函トンネル&瀬戸大橋開業30周年記念キャンペーン
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