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スペシャルインタビュー Vol.2 青函トンネルが悲しみと喜びを運んできたスペシャルインタビュー Vol.2 青函トンネルが悲しみと喜びを運んできた

青函トンネル記念館
ボランティアガイド 角谷 敏雄さん

Profile

北海道福島町出身。北洋漁業の船長からトンネルマンに転身、青函トンネル完成後も全国をめぐってトンネル掘削に人生を捧げる。引退後、「福島町青函トンネル記念館」のボランティアガイドとして活躍、83歳のいまも現役である。

船長、漁船を下りて海底を目指す

青函トンネル建設の北海道側の基地となった福島町吉岡に生まれました。1964(昭和39)年5月、吉岡に第一号の発破の轟音が響き渡ったとき、29歳の私は漁師でした。船長として北洋漁業の漁船に乗っていたのです。漁に出ると4か月は家を空けることになりますし、北洋漁業がかつての活気を失い始めていたこともあり、船を下りることを決めます。その年の秋、青函トンネル工事を担っていた日本鉄道建設公団の面接を受けました。どうやら「漁師は水に強いはずだ」という期待があって、採用されたようです。翌年から働くことになり、私のトンネルマン人生が始まりました。
青函トンネルは、3本のトンネルから成ります。まず、いま新幹線が走っている「本坑」。次に、本坑を掘るための「作業坑」、いまは排水や換気、本坑の点検のために使われています。そして、地質調査のために一番先に掘られた「先進導坑」で、私はここに配属されました。「切羽(きりは)」という、坑内に入って先端を掘り進める役目です。全くの素人でしたが真面目に仕事に取り組んで、4年目には班長に抜擢されました。「角谷班」のはじまりです。

海底で戦い続けた命がけの日々

海底での掘削作業は、毎日命がけ。スイスから輸入した機械(TBM:トンネルボーリングマシン)を使いましたが、予想以上に岩盤が軟らかくて、巨大な機械を固定できなかったのです。土砂崩れを起こして、埋まってしまう。試行錯誤して、改良を加えながら掘り進めました。

あとは、水との戦い。海底の水圧にトンネルが耐えられないので、毎分30~40トンの水を逃がさなければなりませんでした。大量の水があふれて、トンネルが水没しそうになったこともあります。500mほど掘るのに、4~5年かかったこともありました。掘ったあとは、セメントと液体状のガラスで塗り固めて、水からトンネルを守りました。

苦労のタネは、全員が素人だったこと。国鉄屈指のトンネルマンはいました。でも、海底トンネルを掘ったことのある人はいない。未知の作業だったのです。仕事をしながら、考えて研究して、また作業して…という繰り返し。7~8年続けるうちに、人材が育ってきました。

トンネルの中は、暑さとの戦いでもありました。地熱と換気の悪さのせいか、夏の暑さとは違う独特の暑さがあって、気持ち悪い。粉塵のにおいと湿気も敵でした。工事の後半は、換気が整って改善されました。梅干しと塩も配給されるようになりましたね。

班長になってからは、作業員が定着しないことに苦労しました。その日の朝にはいた人が、昼休みになると逃げ出して姿をくらましてしまったことも少なくなかったです。気持ちはわかります。「いま海の底にいる」と思うと、急に怖くなるのです。事故で仲間を失う経験もしています。青函トンネルを掘っているあいだは、「苦しさ」と「悲しさ」の連続でした。

角谷班、最後の発破~悲しみと安堵~

貫通を目前にしたころ、うれしさよりも悲しさが強かったです。青函トンネルが完成するということは、20年ちかくも苦楽を共にしてきた仲間たちとの別れを意味しましたから。トンネルマンたちは、公団が斡旋してくれた次の仕事場へと散っていきました。学校で送別会があるたびに淋しそうに帰ってくる子どもたちを見て、悲しくなりました。函館の人たちの思いを知ったときも、複雑な気持ちでした。青函トンネルが開通すると、青函連絡船は廃止されることが決まっていました。長年、青函連絡船に慣れ親しんできた函館市民にとっては、青函トンネルの完成は喜びばかりではなかったようです。

1983(昭和58)年1月、先進導坑が貫通します。北海道側の吉岡と青森県側の竜飛から掘り進めて、1mを残したところで、最後の発破を仕掛けました。担当は「角谷班」。当日の朝は、冷たい水で体を清めて、新しい制服を着て、亡くなった3人の仲間たちの写真や遺品を身につけて、現場に入りました。海底での発破は失敗も多いので、緊張しました。東京の首相官邸から中曽根康弘総理大臣が発破ボタンを押すことになっていましたし。成功したときは、ほっとしました。長い間の苦労が報われた瞬間でした。

青函トンネルとは「出会い」である

青函トンネルの掘削工事は、苦しいことと悲しいことが多かったです。でも、たくさんの出会いを運んできてくれました。私にとっての青函トンネルは「出会い」であり、世紀の大工事に携われたことは、一番の誇りです。

トンネルマンを引退してから、「福島町青函トンネル記念館」でボランティアガイドをやっています。来館者の予定や希望に合わせて、当時の話をしています。そういえば、青函トンネル工事をテーマとした「風雪の海峡」という映画がありました。ロケのとき、私の役をやった俳優さんに代わって、実際に掘る作業を撮影しました。いい思い出ですね。漁師からトンネルマンに転身したからこそ、いろいろな出会いがありました。いまも、記念館を訪れるたくさんの人との出会いがあります。それが私の楽しみであり、喜びです。

福島町青函トンネル記念館

住所/〒049-1331 北海道松前郡福島町字三岳32-2 電話番号/0139-47-3020 
URL http://www.town.fukushima.hokkaido.jp/tonneru/default.htm
開館時間/9~17時 休館日/なし、11月16日~3月16日は休館 入館料/400円、小学生~高校生200円、未就学児無料

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